時間があると色々深く考えてしまうもので、
よろしくないなあと思いながらもこれを書いています。
コロナ禍以降、他者との”合わなさ”が浮き彫りになることが多くて
割と多くの人が疲れてしまっているのではないかと思います。
心の奥底では分かり合いたいし、
誰かを苦手だとか嫌いだなんて思いたくはないのだけれど
「ああ、この人は無理だ」という場面が多くなったのでは?
それも以前よりとても些細な出来事で。
自分にとっては、大切ではないからなくてもいい。
という本当の気持ちを「誰かを守る為」なんて聞こえのいい言葉のオブラートに包まれてぶん投げられ続けているような気がしています。
勿論、守ることに繋がる部分もあることは承知の上です。
でもきっと私だって同じことをしているんだろうと思う。
そんな風に心の底から他人を想えるような人間ならば、
もっと出来る限り家から出ない暮らしを選ぶと思う。
そうしないのは自分がしんどいからで、
誰かが辛くなることには目を背けているからだ。
「しょうがないじゃん」なんていう無責任な言葉で見ないフリをしている。
昨日はなんだかものすごく疲れていて。
心と体のバランスがうまくいっていないみたいな。
すごく辛いことがあったわけでもないけど、
なんだろう、居心地が悪くて。この世が。笑
早く世界終わらないかな~~~~みたいにポップな消えたい欲()が止まらなかった。理由もキッカケも未だにわからないんだけど。
でも、アイナ・ジ・エンドのソロライブの映像が公開される日だった。
1日限りの大サービス。プレミア公開。
いつもなら躊躇せず見るけど、昨日はすごく戦った。
怖かったんだよな、大好きな人のライブを見ることが。
※これはその中からの1曲。まじですごかった。
猟奇的に笑うそのタイミングが神です。是非。
目を奪われるとはこのことかと。
開いた口が塞がらねえのよ、アイナジエンドさんよ!
久しぶりにものすごく好きなアーティストと目を合わせたように思う。
目を合わせるというのは、向き合うということで。
ライブをやっていても以前のように東京には行けないし
見れば見るほど行ける人をいいなあと思うドス黒い気持ちに囲まれて
すごくつらくなってしまうからだった。
まっすぐに画面と向き合い、アイナがその細い体と手足で舞台で踊り、歌い、表現しているさまを見た。すごかった。すごくてすごくて。芸術品みたいだった。後ろの樹木のようなセットとアイナの柔らかな曲線を描く動きがとてもリンクしていて美しすぎて、尊すぎて。雄大な自然を見た時の、ウワアって感覚ととても似ていた。
初めて会った日を思い出す。
その衝撃を。
「粧し込んだ日に限って」という曲の時の話。
これは自殺未遂した友達の歌で。
とても暗く重い歌詞だけど、すごく好きで。
「見なくていいよ 見たくないもの」でましゅさん(バックダンサー)の目をアイナが塞いであげるんですね。それがもうダメで。泣いちゃって。
この歌で何を伝えたいかというのは曲を聴いてるだけでも理解しているつもりでしたが、やっぱりライブの凄さってそこだなと思うんです。全然違う。
この曲の中には「愛してるよ」という言葉が何回も出てくる。
その度にアイナは抱きしめたり、手を握ったり。
そのどれもが同じ「愛してるよ」じゃなくて。
表現力の凄さに圧倒される。
まるで1つ1つ別の人に向けているみたいな。
その子や、友達や、ファンの皆へ。
愛してるよを与え続ける女神みたいだった。
バカみたいだけど自分に向いているような気がして。
ボロボロ涙が止まらなくて。
時々「みんな」じゃなくて「私」に歌えるボーカリストがいる。
アイナジエンドもきっとその1人。
歌で抱きしめてくれるし、手を握ってくれる。
なんだかやっと深くまで息が吸えたようなそんな気分で。
一生懸命吸ってやっと出来たって感じで
めっちゃ楽になった感じではないんだけど。
「あれ?まだ這いつくばるくらいは出来るかも?」みたいな気持ちになった。
ほらね、誰にも出来ないことが出来るじゃない?って思った。
友達にも恋人にも家族にも出来ないことが。
出来るんですよ、この人達って。
(勿論、友達や恋人や家族にしか出来ないこともある。)
北海道に、来てくれる。
希望が見えたのでチケットを買った。
また命を繋いでもらったなあと大袈裟ではなく思うよ。
ありがとう。
音楽は私にとって空気です。
あるのが当たり前という意味ではないです。
ないと呼吸がつらい、という意味です。
大切です。ものすごく。
ないと困る、が大切と同じになるか私にはちょっと疑問だけど。
今はそういう言葉しか出てこないなって思います。